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渋谷の高架下で、試供品を良く配っているエリアがある。
今回受け取ったのは「アリナミン7」という一本150円くらいする滋養強壮ドリンクだった。
配布している人が美人だったのでついつい受け取ってしまったのですが、
果たしてここで試供品を配ることで、どれくらいの宣伝効果があるのか?
そもそも、意味があるのか?少し考えてみました。
試供品で配られていた商品の原価や人件費はいくら?
アリナミン7を飲んだことがある人はいるだろうか?
アリナミンシリーズを販売している会社は武田薬品という会社です。
アリナミン7の詳しい原価はわかりませんが、
武田製薬の販売商品の粗利率は約75%といわれています。
つまり、アリナミン7の原価はだいたい40円くらい。
厳密にいうと、商品別に粗利金額が異なるので、
もしかすると10円以下の可能性もありますが原価は安いです。
仮に一本40円だとして4万円分です。
で、かわいいおねーさんを自給いくらで雇っているかわかりませんが。
自給2000円だったとして、5時間で1万円。
新商品の配布であればわかるのですが、既存の商品をただ配ることにどれだけの意味があるのか正直わかりません。
効果測定も難しいはずです。
というより、この手のキャンペーンは効果測定なんてできないですよね?
すごいマーケティング会社ならちゃんと効果測定できるのかな?
ここで感じたのは、
無料サンプルとして商品を試してもらうという行為はとても有効であるということ。
でも、その試供品を渡されて飲む人がただ街を歩いている人だということ。
少しでもその商品いいなと思った人がいたとして、次にコンビニや薬局で滋養強壮ドリンクを買う機会があったときに、
どうやって試供品で配った商品を買ってもらう確率を上げるのか。
ドリンクコーナーにたくさんの種類の商品がおいてあるので、どうやってその商品を選んでもらうようにするのか。
これってほんと、初めから試供品を渡す人をある程度選んでいるなら意味があるかもしれませんが、
ただやみくもに渡しても意味はないような気もします。
たとえば、栄養ドリンクなら、スーツを着たサラリーマン男性に渡す!とかしていればその栄養ドリンクを知ってもらって、
また買ってもらえるかもしれません。
サンプルをもらった記憶はどこまで残っているのか?
複雑性の縮減という考え方があります。
これは、二クラス・ルーマンという社会学者が、複雑な現代社会に人が対応するために
そして
で社会との境界を安定させるという考え方です。
もう少し詳しく説明すると、
たとえば、
いま「寒い」ですか?「暑い」ですか?
あなたの部屋の「壁の色」や「カーテンの色」は何色ですか?
こんな質問をされたとき。
人によって、多少の違いはあるが、意外と覚えている人も多いのです。
しかし、普段から目にしている「壁の色はクリーム色」や「カーテンの色は緑色」という情報は、たぶん意識の上では自動的にシャットアウトされている。
でも、記録としては残っているので覚えている場合がある。
ということです。
例えば、
部屋のにおいや、日々の通勤、通学路の途中にある様々なもの。
普段は意識していないけど、何かきっかけがあれば思い出すことができる記憶として。
普段から情報は蓄積されているんです。
学校帰りに、のど乾いたからジュースが飲みたい!
と思うことがあれば、自動販売機や喫茶店、コンビニやスーパーの場所など。
ちゃんと覚えていて、たどり着くことができますよね。
当たり前といえば、当たり前なのですが。
そういう意味では、無料サンプルや試供品は配る場所によっては絶大な効果を及ぼすんだろうな。
まあ効果がなければわざわざ配ったりしないですよね?