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年明け日経平均は下がりましたね。
経済評論家の中には2万を超えるということを言っている人もたくさんいて、
総理大臣も「アベノミクス」で景気は好転に向かっているという情報が流れています。
テレビでは景気いいよーって情報が流れているけど。
その好景気の波を感じている人はいったいどの程度いるのだろうか?
今回は「認識」が身体(行動)に与える影響について見ていきます。
実体が有るモノへの認識
むかしおじいちゃんの家で「ねこ」を飼っていました。
勝手に住み着いた「ねこ」。
エサを与えてもなつかない無愛想なやつなのですが、
なんとなくかわいいから、彼に名前をつけます。
何て名前がいいかなー、
なんか大きいから「ボス」にしよう…。
なぜペットに名前をつけるのか?
もちろん、
ボスを他のネコと区別するために名前をつけます。
ではどうして区別するのか?
それは「ボス」が自分にとって他の猫とは違った
「特別な存在だと認識があるからです。」
これは、
たくさんいる猫に特別な名前が与えられることによって、
その猫がほかの猫で代えることのできないものであるという意味付けが完了し、自分との関連が確認されるという例えである。
ボスの場合は命名する正体がよくわかっている場合です。
実体が無いモノへの認識
では命名する正体がよくわかっていないものに対して
たとえば、
「神社の神様」「お墓のお化け」「呪いなどの目に見えないもの」
に
「祈り」や「供え物」賽銭などを捧げることによって、
自分たちの行動や運命が好ましいものになるよう祈るとします。
しかし、
その物の祈っている相手の正体は結局よくわからないままかもしれません。
これはいったいなんなのか?
この場合、「何もない空間に名前を与える」ことによって人々は一つの存在を想定し
自分との関連でそれを位置づけてみようとしていることだけは確かである。
つまり、
認識には実態が有るモノへの認識と実態が無いモノへの認識がある。
何をもって景気が良くなっていると判断するの?
「認識」が与える好景気という言葉の影響 と
「身体」がうける好景気の影響 は全く別物だということです。
好景気といわれた場合も、
実際の生活という実態があるモノから受ける景気と、
ニュースが伝える実体のない好景気という認識があるのです。
政府が発表している情報には、一応の景気判断基準はありますが。
その詳しい判断基準を理解している人なんてほんの一握りだとおもいます。
あなたの身体は好景気を感じていますか?
認識の違いによって生活も変わるとおもうのでほんと怖いですねw