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先日、プロのPRライターの方に、文章を書く上で重要なことを教えてもらいました。それは、ライティングテクニックや天性の表現力でもセンスでもなく。
文章がおかれている状況を考える力を身につけるという事でした。
僕がブログを書く理由。
僕がブログを書く理由は、日常で感じたことや考えたことを忘れないようにするためです。備忘録という、一種のオナニーに近い感覚でブログを更新しています。ですが最近、どうしてもオナニーとして書いているブログの域を脱したいと思うことがありました。
それは、出版社の賞に小説を応募し続けている友達とのやり取りでした。
彼は大学時代の友人で、むかしからアフリカに行ったり東南アジアに行ったり。少し変わった人間でした。賞に応募した作品が応募者2000人の中から2番目に選ばれるほどの実力があるにも関わらず。周りの人から、自己満足のための作品だといわれて自身を失いかけ、僕にも作品の意見を求めてきました。
彼の場合は作品を公開しているでもない。
審査員以外誰が読むでもない文章をずっと1人で書いているんだと思いました。
ブログならアクセスが集まれば収益も上がります。そして、ブログなら多くの場合、自己顕示欲や利益を求めて公開しているものばかりなので。自己満足のオナニーだといわれても仕方無いかもしれません。
でも、彼の場合。出版されれば多くの人に文章を見てもらえるのですが。
今は誰が見るわけでもない文章を書き続け、周りから心無くお前の自己満足の作品だといわれ。日の目を見るまでがんばって続けることが出来るかもわかりません。
彼が僕に送ってきた文章を読んでみて思ったことは。僕が日々オナニーのように書き記している文章より圧倒的にレベルが高いという事。
だけど、根本的な部分で文章を応募する賞の背景や、その作品を審査する人。その作品を見るであろう読者への配慮などが欠けているように感じました。
小説の場合って、「読んでいる人を楽しませたい。」とか「なるべく情景が伝わりやすいように書いてみる。」とか。してみてもいいのではないかと感じました。
もしかすると彼の文章はレベルの高いオナニーなのかもしれません。
そして、僕は彼に対して思ったことを意見してしまったので。まず僕自身が、彼に指摘した事を文章でうまく表現できるようになりたいと感じました。
自己満足の域を超えるにはどうすればよいか?それはまだわからない。
彼がこのブログを見ることはあるのだろうか。僕は友人として、彼が大きな賞を受賞し小説家として自信をもってデビューすることを心待ちとしているという事は。言わないでおきました。心無い意見に負けることなく作品を書き続けてほしいと思っています。
文章一つで感動を与えることができます。
文章一つで相手を傷つけることもできます。
彼に意見したからには、僕もオナニーレベルの文章を卒業できるよう日々精進したいと思います。
まず実際にプロのライターさんの下請けとして応募してみました。たぶん、僕は下請けでもお金をもらえるレベルの文章を書く自信はありません。なので試行錯誤しながら、物事を端的に伝えられる文章を書くことが出来るように挑戦していきます。
だって、挑戦して一歩踏み出さない限り。
出来ないと思っていることが出来るようになるとは思えないから。
誰のための、何のための記事なのか考えて文章を書く。少しずつ挑戦していきたいと思います。小説を書いている友人と僕に宛てて書いたオナニーでした。